現存する143系の概要
クモヤ143・クモユニ143とは
最終更新
2021.4
クモヤ143-0番台
クモヤ143-9 クモヤ143-0番台 現存車
①クモヤ143-8(東京総合車両センター)
②クモヤ143-9(東京総合車両センター)
1972年に発生した日暮里駅での車両追突事故をきっかけに、山手線をはじめ首都圏に保安装置・ATCを導入することになった。これにともない、ブレーキ性能が不十分な旧型の事業用車を置き替えるため、1977~80年に21両が新製された。配置箇所は品川や浦和など、すべて首都圏である。
クモヤ145とは異なり、足回りも含め新製された。主電動機はMT57Aで、落成当初からスカートを装備した。1980年代からは205系など、電気指令式ブレーキの採用が本格化したため、クモヤ143にも対応改造が行われている。全車国鉄からJR東日本へ継承されたが、車両が徐々に編成単位で管理されるようになったことで、「牽引車」としての出番は激減した。

▲マヤ・スヤを挟んだ編成。かつては検測にも使用された。
(2003年2月/画像提供:@Hiroshi651059様)
1992年の山形新幹線開業時には、交流区間と標準軌に対応した牽引車が必要となることから、クモヤ143-3がクモヤ743-1に改造され、2013年まで活躍した。

▲クモヤ143-3から改造されたクモヤ743-1。
(2013年11月/@奥羽線 庭坂~赤岩)
2008~2012年には多くの車両が引退。中にはクモヤ145-120+クモヤ143-12+クモヤ143-16+クル144-8+クモル145-8+クモヤ143-14という大規模な配給輸送も実施された。

▲2008年に実施された廃車配給。
〔クモヤ145-120+クモヤ143-12+クモヤ143-16+クル144-8+クモル145-8+クモヤ143-14〕
(2008年6月/画像提供:南越後の乱入王様)
2021年4月現在、クモヤ143-8・9の2両が現存している。ともに東京総合車両センターに在籍しているが、本線に出ることはまれで、かつてのような牽引シーンはなかなか見られない。
クモヤ143-50番台
クモヤ143-51 クモヤ143-50番台 現存車
③クモヤ143-51(新潟車両センター)
④クモヤ143-52(長野総合車両センター)
国鉄の分割民営化を控えた1980年代、上沼垂運転区(現・新潟車両センター)には特急「北越」などに使用される485系が転入した。合わせて交直流対応の牽引車が必要となることから、荷物輸送の廃止にともない余剰となったクモニ143から2両が改造された。
0番台と異なる点は双頭連結器を装備し、スカートが撤去されたこと。また、クモニ時代の湘南色を保っており、車内の荷物室もそのままである。前述のとおり交直流車の制御が可能だが、クモヤ145-50(1050)番台のように、交流区間で制御車として走ることはできない。
のちにクモヤ143-52は長野地区へ転属し、篠ノ井線の霜取り列車として知られていたが、2018年3月のダイヤ改正でE127系にその役目を譲った。以後は長野総合車両センターにて操車を務める。
クモユニ143
クモユニ143-1 クモユニ143 現存車
⑤クモユニ143-1(長野総合車両センター/車籍なし)
⑥クモユニ143-3
(東京・大宮総合車両センター/車籍なし)
身延線における郵便・荷物輸送、また旧型国電の置き替え用として1981年に4両が製造された。主電動機はMT57Aで、パンタグラフは1基のみ。登場時はスカートを装備していたが、後年に撤去された。
80年代中盤になると、鉄道による郵便・荷物輸送が相次いで廃止され、1986年からの10年間は幕張電車区で新聞輸送も務めていた。

▲身延色や湘南色の時代があった。
(1987年5月/画像提供:OOMYV様)
新聞輸送を113系に譲ると、クモユニ143-2・4は廃車となったが、1・3は牽引車に転身。近年まで長野総合車両センターに在籍していたものの、2018年春にクモヤ143-52が転入したことで余剰に。クモユニ143-3は8月に東大宮センターへ輸送され、車籍は抹消されたものの訓練車として使用されている。
職員輸送や団臨に使用されることが多かったクモユニ143-1も、2019年10月に車籍を抹消された。
「クモヤ」「クモユニ」の意味は?
ク=運転台あり
モ=モーターあり
ヤ=事業用
※かつて、事業用車は「職用車」とよばれており、それらに乗っていたであろう「役人」が由来との説あり
ユ=郵便
ニ=荷物